日本に到着。私が想像していた東京では無かった。
今回の旅行には最低限の荷物しか持って行かなかったため、カメラも無し。写真は全てiPhoneで撮影しました。
日本行きの飛行機は満席!何故かと言うと、修学旅行生が一学年全員乗っていたのだ〜〜。そのため、三人席の真ん中という最悪の席になってしまいましたーーーー。あぁぁぁぁ。
隣の女の子は大学生で、お母さんと一週間オーストラリアに滞在していたそうです。色々と話して打ち解けて来た頃に、「東京ではまだみんな放射能の関係でマスクをしているのかな?」と聞いて笑われました。「している人なんていませんよー。もう何ヶ月も前の話ですからね。もう大丈夫ですよ。」と・・・。
私は原発で水素爆発が起こった時に、これはとんでもない事が起きたと思って、いてもたってもいられない気持ちになりました。以前、山火事の煙の匂いを嗅いだ時に、『賢を抱えて逃げなくては!!』と全身で感じたときと同じような気持ち。
あの原発事故以来、私は毎日情報を収集していました。シドニーでは、もちろん日本のテレビの民放が映らないので、情報源はネットになります。ニュースサイトだけでなく、個人や学者から直接情報が得られる時代。どれだけテレビからの情報が偏っていたものだったかを知りました。
今まで、のほほーんと、漠然と、日本と言う国家に安心して頼り切っていた私。『誰かが何とかしてくれるさ〜〜〜』という感覚。でも、あの日、3.11以来自分の中で何かが変わりました。
これからは自分で情報を集めて、自分で判断して行動しなくてはいけない、という気持ちが強くなりました。
元気でいれば、健康でさえいられれば、何度人生をリセットしてもやり直せる。もし取り越し苦労だったら、それはそれで後で笑えばいいじゃないか。
私はまず、家族や友人に『狭い家だから、快適さは約束できないけれど、遠慮なく滞在しに来て欲しい』という事を伝えました。でも、結局今の所誰も来てくれない。どうしてなんだろう・・・。
そんな中、私の運転免許が切れて、更新をしなくてはいけない事に加えて、友達が中・高の同窓会を企画している事もあり、賢を残して一人で短期滞在をしに日本に戻る事にしたのです。
そして・・・話は戻りますが。
飛行機の中で大学2年生の女の子が、「もう関東ではみんな普通に生活をしている。政府も、もう大丈夫だと言っている。食べ物だって基準値以下で大丈夫。ニュースでも原発の話題なんてほとんど出ないし。」と言っているのを聞いた訳です。
そうなんだ・・・。正直、ショックでした。 そういう風に思わされているんだ、と。もう大丈夫?いや、現在も放射性物質は漏れ続けているし、食べ物の汚染がどれ位続くか・・・。
そして、釈然としない気分で成田に降り立ち、姉とランチの約束があったので、そのまま汐留に向かいました。
久しぶりの東京。本当に普通。もちろんマスクなんてしている人はいない。
マイケルからは、絶対に水道水は飲まないように。できるならオーストラリアから持てるだけ食料を持って行って、それで凌ぐように言われていた。
海外からの観光客が激減しているらしいけれど、海外にいた私には理由が良く分かる。
外にいると、入って来るのは、原発事故があっていまだに収束していない(メルトスルーした燃料を回収する技術もない)というのに、他の原発を再稼働させようとしている事。爆発によって放射性物質が拡散する事を予測できていたにも関わらず、一般市民に知らせなかった事実。そして広範囲に渡って土壌が汚染されたにも関わらず、情報を国民に知らせず、今も高濃度汚染の土地で子供たちまで暮らしている現実・・・。
海外からは『大丈夫?日本?』と思われている訳ですよ。
でも、日本に実際行ってみて分かった。放射性物質は目に見えない。触れられないし、匂いもない。気にならないと言ったら嘘になるけれど、みんな普通に暮らしているし、大丈夫でしょ、という気分になる。見えないものを気にしながら暮らしている方が、ストレスで身体がおかしくなっちゃうよ、って。だから、『大丈夫ですよ〜』という情報を信じたくなる。色々気にしている人は『神経質』という扱いになってしまう。臭い物には蓋。見てない聞こえない。
そうか、こんな感じだったのか・・・。本当にオーストラリアにいると分からなかった。普通だ。表面上、怖い位に普通に見える。装っているのか、本当にみんな思考停止してしまっているのか。でも、やっぱりごめん。私は安心できない。できれば、家族や友人にシドニーの家に滞在しに来て欲しい気持ちは変わらない。見えない、でも確実にあってはいけないものがそこに『ある』のだ。
・・・
姉と合流して再会を喜び、東京タワーの見えるレストランでご飯を楽しんだ。
その後はゆりかもめに乗って、姉妹水入らずでジョイポリスへ。ここは初めて行ったけれど楽しいねぇーーー!!体感系のゲームばかりで、興奮しっぱなし。随分と長い事いました。
夜は私のリクエストで、絶対に食べて帰りたかったラーメン一蘭へ。あぁぁぁぁ、おいしぃぃぃぃぃぃ。
今夜は姉の家に泊めてもらう事になっていたので、バスに乗って帰りました。ありがとうー。