賢 6歳

あさがおの絵

小学校の夏休みも終わり、普通の日々が帰ってきました。

とにかく旅行に行きまくった夏休みで、この奈良の家にはほとんどいなかった気が・・・。笑

私もたっぷりと実家で休ませてもらって、そのしわ寄せがガッツリ来て、ひーこら仕事をしている9月の始まりです。いや、お仕事があるという事は幸せなことです。

宿題は1年生なので大したものはなく、夏休みの始まりにほぼ終わらせてしまっていたので、あとは奈良の家に置いていった『朝顔の絵』のみでした。

近所の友達が預かってくれるなんて言ってくれたのですが、学校から持って帰ってきた時にはすでに茶色いつるに種が付いているだけだったので、「帰ってきたら種の絵を描いて出させるわ〜。」と、置いていったのです。

8月31日に玄関先でサラサラと描き上がった絵を見て、色々と目からウロコでした。

すごくイイ!構図も色もイイ!ものっすごく抽象的だけど。私は好き。

こう見えてるんだなぁ。確かに、放置されていたのに、また綺麗な朝顔が2つくらい咲いていたけど満開だな。わさわさ生えてる緑の葉っぱは2枚だけなんだな。

これを先生がどう評価するかは分からないけど、学校から戻ってきたら額に入れて飾ろうと思っています。

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この一件で思い出した事がありました。

私は小さい頃から絵を描くのが好きな方だったと思うのですが、何かを『正確に』描く事が苦手だった気がします。

自由に描いて良いお年頃までは先生に褒められる事もあったのですが、中学校の美術が始まった頃から先生の評価がもらえなくなり、描く事が好きではなくなりました。

本当に好きだったら評価なんて関係なく描き続けたのかもしれないのですが。

高校に入った時に、静物画を描くお題があり、私は紫の布を敷いて、お皿に乗ったレモンを描く事にしました。

その絵を先生がとても褒めてくれて、「レモンのディテールが良く描けてる!」「布の紫の色もとてもきれい。」と、廊下に額装をして飾ってくれたのです。

でもね、その絵は、思いっきりレモンの載ったお皿が斜めになっていてね。バランスの悪い、宙に浮いたようなあり得ない構図だったのですよ。でも、そんなの関係ないって評価してもらえた事が本当に本当に嬉しくて、今でもたまに思い出すのです。

その後、また先生は変わり、私の美術の評価はイマイチなまま大学生になり。
チューリップのデッサンをした時も、すごくキレイに描けて、色なんかもバッチリでしょ!と提出したら、『葉っぱがあり得ない形をしている』と、C評価だったりして・・・。

そんなある日、空間デザインのプレゼンに使う資料で先生の一眼レフを使った撮影があり、恐らくとっても良いカメラとレンズだったのでしょう。そして、今から思えばライティングもしっかりしておいてくれたのでしょうね。覗いた時に見えた世界に衝撃を受け、おー!おーーー!!なんて言いながら撮って。

適当に粘土とクリップで作った模型(しかもその日に間に合わせで作った)が素晴らしく見える写真になってしまい、Aプラスの評価をもらったのです。

苦労して課題をこなしていた友人には詐欺だ!ズルい!とかなり非難されましたけど。わはは。

その時に、初めて『写真は私の人生を救う』と実感したのかもしれませんね。

程なくして、友人が部長をしていた写真部に勧誘してもらって、最初は父からもらったマニュアル一眼レフを使っていましたが、雑誌の懸賞で一眼レフが当たり、そこから更にガッツリのめり込み、そして、今がある訳です。

思い返して見ると、やはり今の自分を作っているのは、こうした小さな出来事の積み重ねなんだなぁ、と思ってしまいます。

そう思うと、小さな日常の出来事や何気ない一言でも、人の人生を左右するきっかけになってしまう事があり得る訳で。プラスにもマイナスにも。

特に大好きな息子に対しては気をつけないといけないなぁ、と思っています。

人と同じじゃなくて良いから、自分の感性を磨いて行って欲しいなぁ。
そして、いつか自分が得意で、そして人にも喜んでもらえるものを一つでも見つけてもらえたら!!

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